理想のママ像、書いてるだけで疲れてきた話

昨日、NOTEの記事に、これまでの「古い母性」をつらつらと書き連ねた。「古い母性」の例えば、、のつもりで、軽く書き始めたのだけど、山ほどわんさか出てくる、出てくる・・イヤとかイイとかではなく、とにかく「こんなママ、ステキ!」なイメージが次から次と出てくることにうえっとなった。

昨日の記事にだって、書ききれていないことが山ほどある。例えば外見、例えばファッション、例えばお料理、例えばお掃除の仕方、例えばライフスタイル、例えばお仕事、例えば起業、例えばライフワーク、例えば休日の過ごし方、例えば子どもとの会話のやり取り、例えばママ友との付き合い方、例えば習い事、例えば夫婦の会話、例えば両親との関係、例えば義理の両親との関係、例えば将来の家族像、例えばお金の遣い方、例えば夢、例えば旅行先、その過ごし方、、

項目を書き出せば書き出すほど、一つ一つ素敵なママ像が浮かぶ。それは、コマーシャルで、ドラマで、映画で、雑誌で、どこかで見た画像や映像。もちろん、それは嘘ではないかもしれないが、家族の実態の中で、ほんの一部、とびきり素敵な場面だけ「切り取られている」。

そんな人、どこにいた?どこにいる??あ、近しい友人で、プライベートでもその理想に近い、素敵な人もいますが。

ここで「そんな理想、うそ!」とか「子育て、甘くない」「めちゃ大変よ!」と大変さの押し売りをしたいわけではなくて。

自分がどんなにそんな「理想のママ」像と比べて、「優しいママは、こんなひどい怒り方しないよねー」「素敵なママは、何週間もそのまま放置しないよねー」「雑に扱わないよね」「こんなことでイラッとしないよね」「引きずったりしないよね」「ちゃんとしてるよね」・・・ちーん・・・あらゆる場面での比較無限ループ!

4人家族手つなぎ

「こうありたい」「素敵なママはこうする!」「こうできたら理想!」と、「外側」の世界に理想を求め、その「理想」に向けて頑張る時代は、本当にもう終わってきていて、それを最先端で見せてくれているのが「子ども」という存在だということ。

いきなり文脈が飛躍したけど、「子ども」は、生まれた時から「理想」通りにいかない。「そのまま」を主張する。小さければ小さいほどその主張を一歩も引かない。暑ければ泣くし、寒くても泣く。どんなに高価で素敵なベビードレスを着せても、容赦なくげぷっと吐く。

赤ちゃんをいつまでもいつまでも飽きずに眺めていたくなるのは、可愛いのはもちろんだけれど、人がいてもいなくてもお構いなしにあくびをし、すやすや眠り、時々ビクッとして手足を震わせ、うーんと気張ったかと思えば、小さな小さな体にしては大音量でお◯らや、う◯ちをしたりするギャップに笑う、どこまでも「そのまま」の姿だからではないかしら?と思う。

どちらが「本物」の人生を生きているのだろう・・?

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